独裁心中

せとらえとの子宮。掃溜の思考と考察、ホラーショートショートを綴る。

慈悲も無慈悲も降り注がない

私は元々活発な性格だったので、「引きこもる」という言葉とは無縁の人種だった。

と言えるのも中三までだった。

 

別に好きで性格が明るかったわけでも楽しくて引きこもるようになったわけでもなく。

人間なんて根本の性質は変わらないと言われてはいれど、生活や嗜好や思考だって変わっていく。

 

ただ、その世間的に言われている性質は変わらない点で言えば 飽き性 というのが運が良かった。

明るい性格も引きこもりも長く続かないからだ。

そして久々に引きこもり強化週間みたいな重い重い身体と暗い暗い気分が先週くらいからやって来た。

何かあったわけじゃないし何もなかったわけでも無いけど、基本的に自分自身の均衡を保つのが下手くそなのだろう。

本当に何か予定がない限りは自宅から出なかったし出たくなかった。

予定があると外出する事は出来たのは幸いだった。

眠くも無いのに起きられないけど夜になったら眠れない。

でも引きこもり期間も無駄な時間だとは思わなかったんだ。

 

私の今、一時的に引っ越している家には88鍵盤のピアノが無い。

だから大好きで生きがいのクラシックを弾くことは曲によるけど難しいにも程がある。

ただ88鍵に鍵盤数は達しておらずとも電子ピアノはあるので 弾く という行為は出来た。

自分自身の曲を練習したり作曲しなくてはいけないけれど、ひたすらただただ思い付いた好きな曲をカバーした。

そんな事して何になる?優先順位違うんじゃない?

とか言われそうだけれど自分自身ではそうは全く思わない一週間だった。ひたすらに楽しくて充実していた。伴奏を付けるのも面白かった。

引きこもり楽しいかもしれない。

 

 

週をあけて月曜日。

気持ちを入れ替えたつもりがやっぱり今日も引きこもっていた。

それに今日も誰かの曲をカバーしていた。

でもなんか色々吹っ切れる事が出来そうな事柄が出来たよ。

 

凄く凄く端折るしまとめるけれど、死ぬ為だけに生きているから私のしている全ての事やこの世の全て、この命も無意味無価値かもしれない。

でも、この一週間何一つ無駄では無かった。

 

久々に訪れた転機が土砂降りに終わる事は無さそうだ。

 

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